Hotwired 野口旭の「ケイザイを斬る!」

http://hotwired.goo.ne.jp/altbiz/noguchi/030715/textonly.html
安達誠司『よみがえる70年前の経済論戦』
http://www.csfb.co.jp/client_entrance/research/economic/eco030207.pdf

ここで批判されている、根本主義清算主義、我慢主義=無作為主義という、不況期にエコノミストがとる二つの反応形態の「極端さ」は、あきらかに<排除>の論理によるものだ。つまり、思考の軸となるべき原抑圧が排除されていることによって生じる、きわめて日本的な論理の帰結である。別の言い方をすれば、それは、粘り強い分析的思考の放棄、ということだ。

<排除>の論理は、「欠如が欠如している」という形をとる。この時、「構造」という概念は、単なる記号(ゼロ記号)のようなもの、になってしまう。そこでは、シビアな論理の構築による<構造>とはまるっきり違うものが、イメージされる。注意すべきなのは、<構造>は断じてイメージではない、ということである。