ポール・クルーグマン『良い経済学 悪い経済学』日本経済新聞社

競争力という危険な幻想

・企業の当期損益と国家の貿易収支は違う。→なぜなら、貿易収支は赤字だからといって、必ずしも悪いわけではないから。

・世界貿易はたしかに、以前よりはるかに規模が大きくなったが、各国の生活水準を決める要因としては、国内要因が圧倒的な比率を占めており、世界市場での競争の影響は小さい。

・企業間と国家間の競争は違うもの。つまり、貿易はゼロ・サム・ゲームではない。

・ある企業の付加価値とは、その企業の売上高から、その企業が他の企業から購入した投入財の総額を差し引いた額である。そして、アメリカで労働者一人当たりの付加価値が高いのは、じつのところ、たばこ、石油精製のように資本集約性がきわめて高い産業である。もちろん、こうした産業では、資本1単位当たりの付加価値は逆に低くなっている。よって、ハイテク産業が、とりわけ付加価値が高い産業というわけではない。

・つまり、競争力とは、無意味に刺激的で、責任を他に転嫁し、政治的に都合がいいだけの、あいまいな概念である。

貿易、雇用、賃金

・雇用に占める製造業の比率が低下しているのは、生産性の伸び率が低く、製造業に競争力がなくなっているためではなく、むしろ逆に、生産性の伸び率が高いからこそ、製造業の比率が低下してきた。サービス業に比べて製造業の生産性伸び率が高かったために、工業製品の物価が低下したのである。

・要素価格均等化は賃金格差の拡大の主因ではない。熟練労働者に対する需要が増加したのは、各々の産業の内部で需要が変化したからであって、貿易によって産業構成が変化したからではない。経済全体で、非熟練労働者に対する需要が低下したのは、技術の変化、とくにコンピューター利用の増加によるのではないか。

・結論としては、次のようになるだろう。米国経済がぶつかっている問題は大部分が国内要因によるものであり、グローバル市場が現在のように統合されていなかったとしても、米国経済の苦境にはほとんど変わりがなかっただろう。GDPに占める製造業の比率が低下しているのは、工業製品に対する支出が相対的に減少してきたからである。雇用に占める製造業の比率が低下しているのは、企業が労働者に代えて機械を導入しておr、残った労働者を以前より効率的に使っているからである。賃金が停滞しているのは、経済全体の生産性伸び率が低下してきたからである。そして、非熟練労働者がとくに打撃を受けているのは、ハイテク経済では非熟練労働力に対する需要が減っているからである。いずれの場合も、貿易は小さな要因でしかない。

貿易をめぐる衝突の幻想

・貯蓄−投資=輸出−輸入

・賃金はその国の平均生産性によって決まる。つまり、生産性が上昇すれば、賃金も上昇するのであって、途上国がいつまでも賃金が低いことを武器に先進国へ輸出し続けることができるわけではない。

アメリカの競争力の神話と現実

・ヒュームの貿易均衡論

貴金属が通貨としてつかわれていた時代、なんらかの理由で競争力を失い、輸出より輸入が多くなった国では、金と銀が海外に流出する。しかし、これはマネーサプライの減少を意味するので、その国の物価と賃金が低下する。やがて、貿易赤字国の製品と労働力が安価になり、ふたたび買い手を引きつけるようになって、貿易赤字が解消する。

リカードの比較優位

生産性で遅れをとった国でも、ヒュームがはじめて指摘した均衡をもたらす力によって、ある範囲の財とサービスを輸出できる。つまり、生産性の高さでなく、賃金の低さで競争している。

・限られた市場を巡る企業間の競争と違って、貿易はゼロ・サム・ゲームではなく、一つの国の利益が他の国のそんしつになるわけでない。貿易はプラス・サム・ゲームであり、したがって、貿易に関して「競争」という言葉を使うのは、誤解を招きかけない危険なことである。(ただし、貿易は、所得の分配という、国内の観点からは、問題を引き起こすこともままあることに注意。)

・比較優位が作り出される過程では、技術的外部経済(知識の蓄積)と金銭的外部経済(市場の規模)が機能する。

・外部経済が強力であれば、国際分業や貿易のパターンがどのようなものになるかは、かなりの部分まで歴史、偶然、政府の政策などによって決まることがある。

常識への挑戦

1920年代、自由市場と通貨価値の維持
 1940年代、経済開発戦略と通貨管理(ソ連の成功)
 1970年代、自由市場に基づくミクロ経済政策とケイジアンマクロ政策(規制緩和と自由競争)
 1980年代から90年代前半、自由市場と通貨価値の維持→ワシントン・コンセンサスの登場

・メキシコの例

1985年から89年にかけて、貿易が大幅に自由化された。

貿易の自由化は、単独のミクロ経済政策としては提案されなかった。(例えば、「この20業種の輸入を自由化すれば、生産性が向上する」といった具合に)それは、それによって打撃を受ける業界の猛反発が予期されるから。よって、貿易の自由化は、国全体にとって大きな利益になると見られる政策パッケージの一環として提案された。(「この戦略がうまくいくことは、世界の常識になっている。あとは実行するだけだ。貿易自由化などの自由市場と通貨価値の維持を組み合わせれば、経済は急速に成長する」という具合に)

・と同時に、債務削減を契機に、世界から資金が大量に流入するようになった。これは、海外の投資家が債務削減を改革パッケージの一環であるとみており、改革が成功するとみているから。しかし、実際の債務削減額はそれほど大きくはなく、成長見通しが目に見えて改善するほどの規模ではない。つまり、バブルが発生しているのだ。

NAFTAの実体

NAFTAアメリカの雇用にはまったく影響を与えない。→むしろ、FRBの影響の方が、失業率に関しては、はるかに大きい。FRBが雇用拡大とインフレ懸念のどちらを重視して、金利を上げ下げするかで、貿易による失業などたちまちに相殺されてしまう。

NAFTAは環境破壊につながらない。むしろ環境保全に役立つ可能性もある。→アメリカの厳しい環境規制がメキシコに浸透したり、メキシコの産業構造や立地が変化する可能性がるから。

NAFTAにより、アメリカの実質所得はわずかながら上昇する。→アメリカとメキシコの間では、貿易自由化が以前からかなり進んでいる。また、メキシコの経済希望が小さいため、輸入先としても輸出市場としても、大きな影響を与えることはありえない。

NAFTAにより、おそらくアメリカの非熟練労働者の実質賃金がやや低下する。→理論的には、非熟練労働者に悪影響をあたえることを懸念せざるをえないが、実証的には、それを裏付ける証拠がない。


アメリカにとって、NAFTAは経済問題ではなく、基本的に外交問題である。→安全保障などの観点から、メキシコで自由化が進展し、国内情勢が安定化すれば、アメリカの国益となる。

アジアの奇跡と言う幻想

・急速な経済成長は、今の消費を犠牲にして将来の生産にまわす節約精神によるところが大きい。

・投入1単位あたりの生産の増加ではなく、投入そのものの増加に基づく経済成長では、いずれ収益が逓減するのは目に見えている。

・この二つの点において、1950年代の共産主義脅威論と近年のアジア脅威論は、同型であり、かつ同じく根拠にかけている。

・経済成長の二つの要因を区別すること。一つは、投入の増加、つまり、雇用の増加、労働者の教育水準の向上、物的資本(機械設備、建物、道路など)のストックの増加である。もう一つは、投入1単位当たりの産出の増加である。これは、経済運営や経済政策による場合もあるが、長期的にみれば、知識の蓄積や技術の向上(「全要素生産性」の向上)によるところが大きい。

・資源を動員する能力と資源を効率的に利用する能力は違う。つまり、ひらめきではなく努力によって急成長している。

・たしかに個々の産業を見る限り技術の普及が進んでいるといえるが、経済全体を対象とするデータを見るかぎり、世界的に技術格差は縮まってはいない。むしろ最近では、東アジアの新興工業国のなかには、かなりの資本輸出をしている国もある。これは、東アジア諸国の経済成長が投入主導型であるため、資本ストックが増えるにつれて収益が逓減しており、だぶついてる資金の投資先を海外に求めている証拠と考えられる。

・東アジアは今後十年以上にわたって、欧米を上回る成長を続けるであろうが、今のような高成長が持続することは望めない。つまり、アジアが近いうちに世界経済の中心になるというのは、馬鹿げている。

技術の復讐

・技術変化にともなう労働需要の変化こそ、アメリカで賃金格差が拡大している最大の原因であり、ヨーロッパで失業率が上昇している最大の原因である。それは、労働を節約し資本を必要とする類の、技術変化であると言える。

・コンピューターの普及が非熟練労働者の職を奪っている可能性。→しかし、1970年以降、もっとも所得が増えたのは、弁護士、医者、企業幹部といった職であり、コンピューターの普及とはそれほど関係があるとは思えない。また、アメリカの賃金格差は、フラクタルな現象、つまり同じ職業の中でも、格差が拡大している。

・スーパースター説

情報通信技術が、個人の影響力と支配力の及ぶ範囲を拡大したため?

世界経済のローカル化

・シカゴとロサンゼルス→世界貿易の中心(輸出ベース)として栄えた都市とサービス業といった非輸出ベースの産業(娯楽、防衛、宇宙航空産業など)で栄えてる都市→都市の経済では、むしろ経済のローカル化が進んでいる。

・経済のローカル化によって、100年前と比べて、それほど世界生産に対する世界貿易の比率が大きくなってはいないことの説明がつく。(世界戦争によって経済のグローバル化は、一時、封じ込められた。世界貿易の比率は、1970年代になるまで、戦前の最盛期を下回っていた)

・時がたつにつれて増えていく仕事は、アメリカ経済が得意な分野ではなく、不得意な分野の仕事である。なぜなら、得意な分野では生産性が向上するので雇用が減るが(例えば、機械化が進む農業)、外食産業や小売業といった産業(レジ係やウエイターなど)では、雇用に対する需要に変化がおきにくいから。


・ロサンゼルスの住民の多くが、目に見えるものを生産しているわけではないが、それは、目に見えるものを生産することが得意なために、目に見えないものの生産にエネルギーを傾けているからである。