『景気と経済政策』小野善康

供給側の経済学と需要側の経済学。この二つを峻別すること。そして、好況期には前者を、不況期には後者の見方をとるべき。よって、実施すべき経済政策も景気によって変化する。(あと、分配よりも合計所得の増加を優先させる考え方であることにも注意が必要。)

以上が、本書の趣旨。以下は、経済学の基本的な考え方を学ぶために、要点の整理。

・不況とは、経済成長率が下がった状態ではなく、需要が潜在的生産能力を下回った状態と考える。

・失業とは、1、自発的失業 2、摩擦的失業のいずれかであるというのが、供給側の経済学。一方、物が売れないから、雇用が減少するとするのが、需要側の経済学。

・摩擦的失業とは、労働市場の不完全性によるもので、ニューケイジアンの考え方。労働組合の存在、情報の不完全性、効率性賃金仮説などがある。

・資産を持つとは、将来の消費という供給側の見方だけではなく、富を保有するという金持ち願望でもあるとするのが、需要側の見方。

・ファンダメンタルズとバブル。需要側の経済学では、株価や地価は経済の実体とともに金持ち願望を反映して、実体経済の生産力を離れて膨張しうる。資産価格の膨張により人々は金持ちになった気分になり、それが需要を押し上げて好景気を生み出す。すなわち、資産価格の膨張と収縮が実体経済に影響を及ぼす。
 逆に、経済の実体を決めるのは生産能力であり、資産価格は単に生産力をうつす鏡であるとするのが、供給側の経済学。よって、バブルが発生するとすれば、それは将来の収益を誤って予想したためである。

・デフレを調整過程として肯定的にとらえるのが、供給側。一方で、デフレスパイラルという悪循環もありうるとするのが、需要側。供給側の考えでは、デフレによって物価が下がれば需要が回復するとされるが、デフレのもとでは物の購入は待てば待つほど安く買えるため、買い控えるとするのが、需要側の考え。それは、貯蓄意欲が消費意欲を上回った状態といえる。


・失業がない供給側の見方では、余剰人員を出せばより効率のよい部門に吸収されるとされるが、失業があるとする需要側の見方では、リストラされた人々はもっと効率の悪い使われ方、つまり失業して何もしないということになる。

財政支出に、1以上の乗数効果があるとするのが伝統的ケイジアンの考え。しかし、供給側の見方では、それは公共部門が民間部門をクラウディング・アウトしてしまう状態をさし、乗数効果はむしろマイナスであると考える。

公共投資の意味は、第一義的には遊休資源や失業者の有効利用にある。さらには、公共投資が景気を押し上げるかどうかよりも、余剰資源を活用して、意味あるものを作り出すかどうかに注目すべき。

・意味ある公共事業とは、投入したコストに比して得られる便益が大きいという意味。供給側の経済学では、完全雇用が想定されるため、公共部門が使わない労働力はその分民間で活用されると考える。つまり、公共事業も民間と同じ尺度で測られる。しかし、需要側の経済学では、失業があると想定しているので、失業者を雇用するときのコストは、社会的にみてゼロである。

・民間では、景気の良い悪いにかかわらず、お金から見た効率計算が重要である。自分の持っているお金が、そのまま自分の富を決定しているから。ところが、社会的視野に立てば、特に不況期には、お金の倹約と資源の倹約が違ってくる。公共活動を決定する際の効率計算と民間が行う効率計算は異なる。

・公共事業と減税では、1、金を受け取る人々に何かをやらせるか、やらせないか 2、金を受け取る人々が異なる という2点に差異がある。

・政府が遊休資源を有効に使うことができるのならば、不況期には公共投資を増やすべきであり、好況期には逆に減らすべき。ところが、不況期には政府の懐が貧しいから、増税した上に倹約となり、行財政改革を行い、好況期には懐が豊かであるから気楽に減税して、公共事業を増やす。政府には、社会的な視野が欠けており、均衡予算方式に従っているだけ。

・安易な外国人労働者論も同じ。不況期にまっさきに首を切られるのは彼らであるのだから、好況期に労働力不足だからといって安易に同論を主張すべきではない

増税によって、減税や公共事業などの財源を賄うことは、現時点での同世代内での所得の再配分政策とみなすことができる。
これに対して国債は、現在と将来の時点とでの所得の再配分にあたる。

国債の発行は、国の借金が増えて国家財政が危うくなり、経済が立ちゆかなくなるというのは、誤解がある。「政府の借金」と「国の借金」を峻別すべき。

国債発行によって財政赤字が累積するということは、民間部門に同額の黒字が累積していることを意味する。また、国全体の資産とは、民間部門と政府部門の資産・負債の合計である。よって、国債発行によって財政赤字が増えても、国全体としてみれば相殺されてゼロになる。

・本当の意味で、国の借金とは、対外債務のこと。むしろ逆に、日本は、対外資産残高が世界一であることに注意。

・国の借金が対外資産が黒字になるとは、国債発行の累積額とは無関係であり、ある国が外国に比べて、相対的に現在の消費よりも将来の消費を重んじるかどうかにかかっている。つまり、経常収支を黒字にして対外資産を貯めているということは、現在の消費を犠牲にしてでも将来の購買力をためて、将来の消費を増やそうとしていることにあたる。

・物の量に変化がない限り、国債残高がいくら大きくても、お金が左から右に回るという分配の問題だけで、将来世代の負担はない。問題なのは、現在世代が減税によって追加的に受け取った購買力は、生産余力が存在している間に消費されなければ、将来世代の負担になってしまうということ。

高所得者低所得者では、消費性向に差がある。その点に注意を払うならば、不況期には、累進課税制度によって高所得者から低所得者への再配分を行うことで、国全体の消費意欲を高め、需要を増やし、労働資源の無駄を減らすべき。一方、好況期には、生産性の高い高所得者インセンティブを高めるため、高所得者所得税率を引き下げたほうがよい。

・消費税や社会保障についても、同様の所得の再配分があるので、景気と国全体の消費性向に注意して、政策決定すべき。

・株や土地や貨幣は、満期のない資産であり、いつまでも保有することが可能なので、金持ち願望によりバブルが起こりうる。しかし、債権には、満期が有限であるため、バブルの起こりようがない。

・供給側の経済学では、物が主で貨幣は従の、貨幣ヴェール観をとるが、需要側の経済学では、貨幣そのものよりも、貨幣を含むすべての資産が生み出す流動性の総量が重要であり、その総体としての貨幣的側面が、実体経済を左右すると考える。

中央銀行についても、供給側にとって流動性の水準とは、実質貨幣量のことであるので、物価水準を一定に保つことに主眼があるが、需要側では、色々の資産が生み出す流動性の総体に気を配っておく必要がある。

・金融緩和には、流動性を増やすことと、インフレ期待を抱かせることという二つのポイントがあるが、1、金融を少々緩和したところで、流動性保有に対する願望が弱まるわけでなく 2、貸し渋りによって、民間銀行の信用創造を通した流動性の拡大が起こらないために、不況期において金融緩和に景気刺激効果がほとんどみられないという短所がある。

・このような状態を「流動性の罠」と呼び、それは、資産に対する需要が、貨幣が持つ流動性という罠にはまってそこから抜け出せず、すべて貨幣需要として吸収されてしまうことをあらわしている。

・銀行の経営体質の変化とは、これまでの金融機関が担ってきた産業への資金提供から、純粋な金融投機への役割の移行を意味している。これには、経済全体の流動性を高め、景気を押し上げる効果もあるが、逆に不況期の流動性収縮も激しくなると言うデメリットがある。さらに、それは日銀が直接コントロールできない流動性を増やすということでもあり、介入の効果もますます低下するであろう。

・不況期に政府が行うべきことは、まず、社会のどこに余剰資源があるか調べ、その用途を検討して便益を比較し、便益の高い事業から初めて、余剰資源を出来る限り有効に使うことである。そのためには、各公共事業の便益評価と比較、入札における競争の確保と談合などの不正行為の取り締まり、出来上がったものが当初の予定通りの質を保っているかどうかの検査が必要である。つまり、公共事業の評価チェックシステムが重要かつ必要。