『転換期の日本経済』吉川洋

半世紀を超える戦後日本経済の歴史の中での最大の「転換点」は、1970年前後に生じた高度成長の終焉である。そして、90年代の10年にも及ぶ長期不況は、この転換点以後にいかにしてわれわれの生活を豊かにしたらよいのかという問いを見誤った/避けてきたことによる、「需要不足」によってもたらされたものだ。
 これが、本書の大きなテーマ。著者は、普通なら「短期」の経済事象を説明するとされるケインズ有効需要の理論を、90年代の「長期」不況を説明するのに使っている。これが、本書の特異な点。

第一章1990年代のマクロ分析

戦後から70年代までは、10%の「高度成長」期。70年代中葉から90年までは、4%の「安定成長」期。そして90年代に入り、「平成不況」を経て、平均1%の低成長期。
 さらに90年代は三つの時期に区分される。①92年から94年にかけての不況期(平均成長率0.6%)②95年から96年にかけての回復期(96年は5.1%成長)③97年第2四半期から99年にかけてのマイナス成長期。

GDPの寄与度分解(GDP=消費+投資+政府支出+輸出−輸入)によれば、GDPの伸びは、上記の項目のいずれかの伸びによるもの。そこから過去二十年ほどの日本経済の特徴を引き出すと、①成長率の変動を生み出す「主役」は、設備投資である。②安定しているはずの消費の落ち込みも経済の低迷に貢献した。③住宅投資は低金利に反応し「健闘」した。④なくなったと言われた「在庫循環」は健在である。⑤政府支出は景気を下支えした。⑥輸出の動きは80年代末から90年代を通じて極めて安定していた。⑦輸入は94年から95年にかけての景気回復を抑制した。

90年代の長期不況は、設備投資の大きな落ち込み(ストック調整)、消費の長期的不振(逆資産効果増税、雇用不安、自営業の不振)、94−96年の輸入の増加(円高)、97年の財政政策の失敗(貸し渋り財政再建)、などによるものと考えられる。

第二章 不良債権と日本経済

90年代初めの貸出し・マネーサプライの低迷は「需要減退」によるもの。それに対して、97年秋以降に「貸し渋り」が深刻化した。
 銀行に関しては、企業の「銀行離れ」や「護送船団方式」を背景に、規律を欠いた横並び意識と経営責任を問われるような改革の先延ばしがあり、それがバブルを招く無責任な融資の拡大につながった。
 企業に関しては、低金利により地価が上昇したから企業があらかじめ保有している土地の担保価値があがり、借入が容易になったから過大な設備投資が行われたのではなくて、むしろ特定の土地の期待収益率が−事後的に見れば誤って−上昇したために地価が上昇し、企業は「土地集約的」な投資を行った。
 政府に関しては、バブル時代の問題は、マネーサプライの成長よりも、プルーデンス政策の欠如に問題があった。
 そして、97年から98年にかけてのマイナス成長の主因は、不良債権処理の遅れが引き起こしたクレジット・クランチである。

第三章 為替レート

購買力平価は、貿易財に関してのみ成立する。非貿易財に関しては、①「非貿易財部門」の成長率が、海外のそれとくらべて著しく低いこと、②自国の「貿易財部門」の成長率が、外国のそれに比べて著しく高いこと、によって「内外価格差」が生まれる。
 つまり、70年代以降の過去二十五年間の趨勢的な円高は、基本的には貿易財購買力平価にそった動きであったし、またそうした購買力平価の変化を生み出した最大の要因は、日本の輸出産業における著しい労働生産性の上昇であった。

第四章 製造業と非製造業

物理的生産性と付加価値生産性。非製造業は、たしかに物理的には生産性が上昇する余地は少ないが、しかし「付加価値」を生み出す余地はまだまだある。
 とはいえ、製造業と違って、資本整備率にみあう労働生産性の上昇が、70年代以降の非製造業では見られなかった。つまり、生産性の低い非製造業へと需要がシフトしたことが、70年の「転換点」以降の日本経済が抱える構造的な問題である。(先進国病)
 中でも、日本企業の9割近くを占める「中小企業」と「自営業」の問題が、深刻である。減反政策や大店法公共投資によって保護されてきた建設や農業セクターも、ここに含まれる。これは、保護政策によって効率性を高める努力をしなくてもよかったために、規制緩和・国際化・情報通信技術の発達などによって激化する競争で生き残れなくなっている(例えば、国内旅行と海外旅行は、いまや代替的なサービスとなっている)。これが、90年代の構造不況の一因である。

第五章 「氷河期」の労働市場

かつての低失業率の「神話」は、欧米諸国に比べて労働者一人当たりの労働時間の変動が大きかったこと(残業の伸縮性、雇用の確保)、賃金も比較的伸縮的に変動したこと(ボーナスと春闘)、賃金の決定に「企業の業績」が強く反映されるようになったこと、職を失った人の多くが「失業者」とはならずに求職意欲を喪失して「非労働力人口」となる傾向が強かったこと(特に女性)、などがある。
 ただし、90年代には、女子が非労働力人口とはならずに失業プールにとどまる様になったという変化がある。
 失業率を上昇させた主因は、雇用の「ミスマッチ」によるというよりも、平均1%という低成長による「需要不足」の方が大きな要因。
 雇用の流動化に関しては、よく経済の活性化のために必要だといわれるが、転職率は成長率と正の相関関係にあるのであって、たとえば高度成長期には、人々は今よりもダイナミックに転職していた。つまり、上記の主張には、原因と結果の取り違えがある。
 それよりももっと問題なのは、若年者の失業や生産性の低い背セクターでの「縁辺的労働」が長期化することで、働く習慣や技能形成が損なわれ、個人のキャリア形成、ひいては経済成長性を損なう恐れがあること。また、「雇用か賃金か」という問題設定そのものが、間違っていることにも注意。賃金カットは、必ず一般物価の低下(デフレ)を招くのであって、不況を一層悪化させるものである。要は、相対としての財・サービスの「需要不足」が、労働市場でも問題なのである。

第6章 高齢化と財政

「高齢化」「国債の負担」「国民負担率の上昇」というは、誤解を招きやすいマジックワードとして機能している。
 国債の負担に関しては、国債は国の借金であり、将来世代にとっての負担という素朴な考えがある。しかし、国債保有しているのもまた日本人なのであって、むしろ日本人の間で所得移転を引き起こすことに注目すべき。
 また財政赤字によるクラウディング・アウトに関しては、それは完全雇用として「消費」を損なうという前提の議論であり、長期不況によって不完全雇用ないし消費低迷にある現在には当てはまらない。
 もし世代間分配を問題にするのであれば、「消費」ではなく「健全」な「インフラストラクチャー」や社会資本が形成され損ねていることに注目すべき。
 国民負担率に関しては、これは「準公共財供給上の効率性」「分配上の平等」「選択の自由」といった諸点についての社会的合意、すなわち国民がどのような経済社会を望むかについての問題である。つまり、一概にその良し悪しを判断する基準は、存在しない。また、国民負担率と経済成長率の間には明瞭な関係は、今のところ実証的にも理論的にも、確認できていない。
 高齢化に関しては、社会保障財政問題の密接な関係に注目すべき。また、社会保障が整備される前は、多くの高齢者が経済的理由により受療を控えるなどの問題があったこと、さらには1900年には43歳だった日本人の平均寿命が80歳をこえ世界一となった背景には、医療保険制度が、その他の公衆衛生インフラストラクチャーの整備と並んで、大きく貢献してきたことを忘れてはいけない。
 「クロヨン」など所得税の負担や公的年金の事実所の破綻などの問題は、納税者番号制、消費税の「インボイス方式」などの導入によって、負担の不公平性を解消するとともに、社会保障制度と財政構造改革を同時に推し進めるべきである。
 

第7章 日本経済の将来

日本経済の潜在成長率は低下してのかという問いに対しては、成長会計そのものにも問題がある。労働、資本、全要素生産性TFP)で図られる成長会計においては、労働力人口の減少と高齢化の進行がよく問題視される。しかし、わが国のGDP成長に寄与してきたのは、大部分がTFPと資本である。つまり、これらは経済成長率の動向を説明する決定的な要因となりえない。また、成長会計では、資本蓄積や技術進歩をどのようにモデル化するかが不明瞭である。
 成長会計によるGDP成長の分析は、「事後的」見ればいつも正しい。しかし、こうした「サプライサイド」の考え方では、短期的な「需要」の動向によって資本や労働投入量やTFPが左右されることを見ていない。むしろ、10年という「長期」にとっても、需要がマクロ経済の動向を決める上で最も重要な要素だということを、否応なくわれわれに知らしめたのが、90年代の日本経済ではなかったか。
 だから、収穫逓減を想定している成長会計よりも、需要の鈍化を組み込んだモデルで考えるべきであり、需要を創出するような技術革新こそが、最も重要なのである。それによって、いわば「リーディングインダストリー」を生み出し、また公的部門による「健全」な「インフラストラクチャー」の整備によって、過去の経済成長を牽引してきた設備投資を増加させることが、必要なのである。