『仕事のなかの曖昧な不安』玄田有史

それにしても、経済や社会についての議論が、どうしてこれほど「わかりやすさ」を求めるものばかりになってしまったのだろうか。

著者は、このような問いを掲げることから、出発している。「はっきり」とした「不安」は、対処しやすい。例えば、不良債権処理やIT革命などよるリストラなどは、原因がはっきりとしているため、解雇される側もそれなりに納得して解雇されることができる。しかし、「曖昧」な「不安」の場合はどうか。芥川龍之介を自殺においやった「ぼんやりとした不安」のように、それは経済・社会の構造的変化による場合が多く、なにが原因で不安なのかはっきりと把握することが難しい。
 だから、まず「わかりやすさ」を求めることを断念せねばならない。必要なのは、社会の複雑さの前にたじろぎつつも、それをなるべく理解しようと努めることだ。
 例えば、フリーターの問題。それが何を意味し、どのような社会・経済的な変化を象徴しているのか。著者は、この問いに対しても即断することを避けている。そして問いを次のように変換する。「結局、フリーターが問題なのではなくて、フリーターについての語り口が問題なのではないか。」

このように、この本では、まず「わかりやすさ」を排し「複雑さ」を擁護するという基本的な立場を維持しつつ、雇用を巡る諸問題を考察していく。曖昧な不安とは、いつも曖昧な言説からやってくる。だから、まず曖昧な言説を、客観的な「データ」でもって、一つずつ吟味する。そして、できるかぎりの明確な現状認識をもつように努める。さらにその現状認識に基づいて、希望はどこにあるのかを探り、とりあえずの処方箋を出す。以上が、本書で採用されている方法である。

・中高年ホワイトカラーの失業が増えていると言われる。→しかし、現実に増えているのは、高卒のブルーカラーなどの若年者あるいは高齢者の失業であり、また性別で言うと女性の失業である。

・そもそも自発的失業・非自発的失業・非労働力人口の区別には、曖昧な部分がある。

パラサイト・シングルは、日本特有の社会・文化的要因(例えば、「子供のためになんでもする親」)によるもので、経済的に困っていないため、労働は「趣味化」しており、この場合の若年失業は「ぜいたく」なものと断じられる。→若年雇用の減少は、労働供給の変化ではなく、社内の中高年の雇用維持にともなう労働需要の大幅減退によって引き起こされている。若年のパラサイト・シングル化は、失業率上昇などの若年の雇用環境が変化した原因ではなく、結果なのである。したがって、若年の就業機会の悪化や失業率の上昇は、労働の「趣味化」といった労働供給側の要因では説明できない。若年失業はそのすべてが、必ずしも「ぜいたく」な失業ではない。

パラサイト・シングルが、親からの「既得権」を享受しているというよりも、むしろ社会から「既得権」を与えられている中高年に、若者が「パラサイト」している。

・「解雇権濫用法理」では、1余剰人員の存在、2解雇回避の努力、3人選の合理性、4手続き的配慮、といった条件を満たさねばならず、日本独特の雇用慣行や労働市場とあいまって、解雇を難しくしている。

・「7・5・3」の転職とは、新規学卒者のうち、三年以内に会社を辞める割合が、中学卒で7割、高校卒で5割、大学卒で3割に達することを危ぶむ言葉。→しかし、「正社員としての仕事」を拒む傾向は、統計的には見らない。むしろ、新卒市場の需給環境の悪化が原因となり、また日本独特の就職市場の構造と学校の就職指導などが機能しなくなっていることに問題がある。→それによって、雇用のミスマッチが発生しやすくなっており、そのため若年の転職率も増加しているのではないか。

・「世代効果」とは、生まれた年次や最終学歴などによって区分された世代ごとに就職後の賃金や雇用が大きく異なる現象のこと。日本では学卒時点に、一気に就職が決まってしまうという慣行があるため、世代効果は大きい。また、潜在的には新卒採用を基本に、その後は世代ごとに区分して昇進・昇格などの処遇を行う、独自の雇用管理も影響している。

・以上のように、フリーターが増加した背景にはさまざまな要因がり、単に若年層の意識の変化だけを問題にするのはおかしい。むしろ、彼ら自身もなぜフリーターをしているのか、「自分でもわからない」というのは正直なところではないか。だから、意識に上らないような社会・経済の構造的要因を丁寧に分析することこそ必要では。

アメリカには「定年制度」はない。日本では他の先進諸国に比べて高齢者の失業率が高い。一方で、少子高齢化により数年後には労働力人口が頭打ちとなるため、高齢者の雇用が人手不足解消のために促進される可能性がある。→問題は、定年の延長や廃止によって高齢者の就業機会が確保される反面、若年の新規採用が大きく抑制される可能性があること。

・「職能資格制度」とは、職務遂行能力や知識・技能、経験などをもとにいくつかの資格等級を設定し、いずれかの資格に社員を格付けして、昇進や賃金の基準とする制度。この制度は、60歳定年制度と表裏一体の関係にあり、専門職制度による定年延長とちょうど対立する概念。つまり、どの企業でも、考課基準の不明確・不統一が悩みの種となっている。

・定年制を61歳以上にしている企業には、二種類ある。「高齢化対応型」と「雇用拡大型」。前者は、従業員の高齢化が進み、かといって余剰人員を解雇することもできず、定年延長への対応を余儀なくされてきた企業。後者は、着実に業績を拡大する中、慢性的な人手不足によって、年齢にかかわらず雇用を拡大したいと考え、その手段の一つとして定年を延長している企業。→つまり、すべての企業に一律で定年延長をルールとして課すのは、早まった措置であり、むしろ再雇用制度などで柔軟な対応を進めていくほうがよい。

・定年延長のためには、雇用調整や解雇についてのルールの見直しが必要だが、解雇権は判例上の概念であり、明確に法文化されていないため、見直しには時間がかかる。つまり、解雇についてのルールは、社会通念上の正当性=世論が明確に変わらないかぎり、直ちに変更することは難しい。

・「社会階層と社会移動全国調査」(SSM調査)によれば、親の社会経済的地位が子の地位に再生産されている事実があるという。つまり、格差の拡大と不平等化が進行しているという懸念が広がっている。→しかし、多くの階層内部で格差の拡大傾向はみられず、むしろ「賃金の画一化現象」とでも呼ぶべき格差の縮小傾向がある。格差が拡大しているのは、30代後半から40代の大学卒の男性層のみである。→これは、主に能力給や成果主義の対象となっている、「中高年ホワイトカラー」の不安が、メディアによって増幅された結果ではないか。

・むしろ問題なのは、20代や30代の男性や20代の女性の長時間労働が、劇的に増加していること。長時間労働による仕事格差が生じており、不況によって業務ノルマが高まったことや新卒採用の抑制などにより仕事が増加したと考えられる。

・仕事格差の問題は、仕事が適切に配分されていないこと、責任や自由が明確にされていないことなどによって深刻化しており、それが自分の未来や成長、ひいては働きがいをなくして転職を増加させる原因となっている。

成果主義が成功するには、同時に仕事の明確化が必要。

能力主義成果主義。前者は、長期的な視点から、潜在的な能力を開発し、人材を育成する。後者は、短期的な視点から、顕在的な成果を評価する。しかし、「能力開発の機会」を提供できなければ、社員は未来を感じられなくなり、「ボロボロになってゆく」「使い捨てにされる」と思ってしまう。だから、成果主義の導入とともに、能力開発の機会を提供することで、「次こそは」「今度は取り返してやる」と思える環境を作ることが重要。

・「愛嬌がある」「運が強そう」なこと。これは、何を意味しているのか?

・転職者は、仕事志向・リスク志向が強く、定着者は生活志向・安定志向が強い。つまり、人が転職せず、一つの会社で働き続ける背後には、家庭を重視する考えがあるのであって、それ自体けっして非難される筋合いはない。同様に転職の場合も、仕事に飽きっぽいからするのではなく、むしろ仕事へのこだわりが強いから、転職を決意する。

・幸福な転職の条件とは、職場以外に相談できる友人や知人を持つことである。それは、公共や民間の職業紹介機関から得られる定量的な情報とはちがって、face to faceのコミュニケーションから得られるの情報は、転職後の職場の雰囲気や人間関係などを想像しやすくし、雇用のミスマッチを引き起こしにくくするからである。→「Weak Ties 弱い紐帯」を持つことが、幸福な転職の条件。

バブル崩壊以降も、雇用者の数は200万人強増えているが、自営業者や家族従業者は100万人近く減っている。つまり、働く人々の総数が増えないのは、雇用者がリストラにあったことではなく、自営業者や家族従業者が減ったことによるもの。

・世界的に見ても、80年代以降で自営業者の減少が起こっているのは、日本とフランスぐらいのもの。さらに女性の自営業が大きく減少しているのは、日本だけ。→こういった傾向が、今の日本のいいようのない停滞感や閉塞感を作り出しているではないか。

・独立開業には旬がある。学卒後に、四十歳頃の独立を具体的な目標として視野に入れながら、中小企業などで関連した仕事を二十年近くしっかりと身につけることが、お勧めである。

・独立開業にとって特に困難なのは、開業後の最初の1,2年を乗り切れるかどうかである。→社会政策的なサポートが必要。コミュニティカレッジの整備や、人材仲介業など。→長期的に見れば、それが失業に対する社会的な「セーフティーネット」となる

・結語。働くことの不安を生んでいる背景には、仕事と人間の関係が曖昧なことが大きい。職場で評価されないことは、本来はたんに仕事がうまくいかなかっただけなのに、まるで人間としての価値を否定されたかのような感じにさせてしまう。(「排除」の構造)これからの社会に本当に必要なのは、個人の能力の違いを語るための作法を作り、そのための言葉や感覚を一人ひとりが磨いていくことである。また働く能力の高低と一人ひとりの人間としての存在価値とはまったく別物だという根本を若いうちから教育し、確認し続ける地道な作業である。