太宰治『斜陽』を読む

太宰の作品は、皆小説的に見事であるけども、皆言い訳の文学だ。この作品も、その例を洩れない。

「太宰の人間失格とは、共産党失格に他ならない」と書いたのは、加藤周一。(『日本文学史序説』)「不良少年とキリスト」について書いたのは、坂口安吾。つまり、マルクス主義キリスト教にたいする緊張関係があるからこそ、太宰は今でも面白い。

「不良とは優しさのことではないか。」「人間は、恋と革命のために生まれてきたのだ。」といった、ドキッとするようなフレーズ。そういったキメ台詞をはさみつつ、あの境界性人格障害者に特有の、絡み、泣き落とし、懺悔、後悔、やけっぱちなどなどの身振りを巧みに描写する太宰に、ついつい魅せられてしまう。

困ったものだ。

基本的に、言い訳の文学は、嫌いだ。だが、敗戦直後の日本においては、まさに皆が切実な思いで、言い訳を探したにちがいない。生きていくために。

その言い訳を提供した太宰は、時代の要求に見事に応えた。そんなところか。安吾の『堕落論』と似て非なる作品、たしかにより巧者なのは間違いなく太宰だけれど。