literature

古谷利裕さんの偽日記http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.htmlより モダニズムの美術においては、作品を構成する個々のイメージやパーツではなく、それらの関係性、それらを組み立てることであらわれる構造こそ重用視される。例えばカロの彫…

野村 喜和夫『現代詩作マニュアル―詩の森に踏み込むために』 詩の森文庫

前半の「詩の歴史」に関する部分は、なるほどと思う。戦後派=「荒地」から始まり、やがて表層=イメージの氾濫する、豊饒な(しかしある意味、退屈な)詩へと移行していく様がよくわかり、勉強になる。 後半の「詩の原理」「詩のキーワード」部分は、物足り…

プイグ『蜘蛛女のキス』

物語を物語る物語。物語の政治性と政治の物語が交錯する物語。「性」と「政」の、幸せな結婚はありえないという物語。プライベートとパブリックな領域は、どんな形できりむすぶのかを考えさせる物語。(それは順接、逆接、交錯、あるいは錯乱?) 60年代後半…

宇野邦一 『ジャン・ジュネ―身振りと内在平面』

マルセル・プルースト『失われた時を求めて 全13巻』鈴木道彦 訳

19世紀のリアリズム小説への異議申し立て(ゴングールへの批判)。つまり、ベネディクト・アンダーソンの言う「meanwhile その間、一方では」という小説の原理、あるいはバフチンの言う「モノローグ」小説の原理(すべてを見渡せる作者=神の視点)、などは…

島尾敏雄『死の棘』を読む

稀有な作品。「もう絶対ダメだ!」と思ったことも、しばらくすると「なんてことなかったな」と相対化できてしまうことがある。そして、絶望的な気分にとらわれていた自分が、馬鹿みたいに思えて、ふっと可笑しくなりもする。 こうした絶望→希望→絶望→希望の…

安部公房『砂の女』を読む

よくできている。でも、それだけという感じがするのは、なぜ?砂の、無節操なまでの、流動性。砂の穴での、窮屈なまでの、定住性。この両者の対比に、さらに、個―共同体―国家の枠組みがかぶせられる。つまり、個人は共同体にたいして被害者意識をもつが、共…

深沢七郎『楢山節考』を読む

今村昌平による同作品の映画を見て、強烈な印象を受けた記憶がある。生々しい生と性。アンチ・ヒューマニズム。そういったものが、リアリスティクな映像から強烈に発散されているので、打ちのめされた。小説の方は、歌物語を取り入れたシンポリックな近代小…

三島由紀夫『仮面の告白』

偽者と本物。仮面と素面。演技と自然。これら二項の差異を撹乱すること。近代文学の宿命である「告白」という制度を逆手にとり、ほとんどキャッチュな形象とレトリックでもってゴテゴテと飾り立てた文体で、ついには、その告白が「本気」なのか「演技」なの…

武田泰淳『滅亡について』を読む

表題作を含むエッセイ集。仏教僧として自覚が、思っていたよりも、強いことに驚く。諸行無常。ただし、やわな詠嘆ではなく、もっと冷徹な原理としてのそれを繰り返し説いている。「滅亡について」では(また、「無感覚なボタン」でも)、その思想が色濃く展…

武田泰淳『ひかりごけ』を読む

彼は、小説家というよりも思想家ではないか。「救いがないということが、救いであります」という倫理。それが、彼の思想の根幹だ。一切のものは生起しては、流転して、そして消滅していく。そして、それらを一切包みこむ世界。また、それは、こうした世界と…

大岡昇平『俘虜記』を読む

これは、ほんとに素晴らしい。こんな知性が、日本にかつて存在していたとは信じがたい。それぐらい素晴らしい。『捉まるまで』の一章は、絶賛に値する。極限状態に立ち向かえるのは、やはり知性なのだ。分析的な知性なくして、倫理はありえない。そう思わせ…

花田清輝『復興期の精神』を読む

こちらも、すごい。レトリックが、すごい。ヒューマニズムへの懐疑。単純な本質主義への批判。リニアな発展よりも、渦巻状の展開を、あるいは円よりも、楕円の軌道こそが、よりラディカルなのだと主張する。はじめから終わりへと、目的−手段の関係で物事は進…

保田與重郎『保田與重郎文芸論集』を読む

なんだこれは。日本の橋が哀れっぽいとは、どういうことかさっぱりわからない。ローマの橋が引き合いにだされるものの、一貫してロジックがない。ただ、不気味なまでに、橋の名称が列挙されるばかり。ただ、そのエッセンスを無理にでも引き出してみると、次…

太宰治『斜陽』を読む

太宰の作品は、皆小説的に見事であるけども、皆言い訳の文学だ。この作品も、その例を洩れない。「太宰の人間失格とは、共産党失格に他ならない」と書いたのは、加藤周一。(『日本文学史序説』)「不良少年とキリスト」について書いたのは、坂口安吾。つま…