『「分裂病」の消滅−精神病理学を超えて』内海健

分裂病は、波打ち際の砂のように、まもなく消滅するだろう。なぜなら、分裂病はまぎれもなく近代に生まれ近代に死すべく運命づけられた、本質的に近代的な病であるのだから。それが本書の予言であり、また主要なテーマ。

精神分裂病という名称が初めて使用されたのは、20世紀初頭のこと。また、ヤスパース現象学などを経由して「精神病理学」が生まれたのも、その当時のこと。つまり、分裂病精神病理学は、時を同じくして生まれた双子なのだ。それゆえ、分裂病統合失調症と改名され、また分裂病の軽症化が明らかとなってきた現在はまた、精神病理学が衰退する時でもあるだろう。それが、本書の第二のテーマ。

分裂病の消滅と精神病理学の衰退がますます明らかになってきたことが、著者をしてこの本を書かしめた理由だという。

1970年代の日本で木村敏中井久夫、安永浩などが切り開いた精神病理学の地平を継承しつつ、西欧の「近代」を、また近代的な「主体」を「時間」の観点から問い直すのが、本書の前半。後半では、デカルトウィトゲンシュタインカフカといった分裂病に親和的であったと考えられる者たちを、病跡学的な観点から再考している。(デカルトの「悪霊」の話は啓発的だし、またカフカの「掟の門」を巡る詳細な分析は秀逸である。)

解離や多重人格にくらべて、もはや「時代遅れ」となってしまった分裂病。だが著者は、分裂病とは「単独者」の病であること、そして分裂病者が、始原の贈与である「力の一撃」に恐ろしく敏感であることに再注目せよと言う。露骨な暴力が顕在化することが稀になり、それがますます隠微なものへと変質しているのが今日の管理社会であるとするならば、「力」に微分的な反応をしめす分裂病者の資質は、逆にますますこの時代に必要とされているのかもしれないのだから。

未読である中井久夫氏の新著も、早いうちに読んでみたいと思ってしまった。