2004-01-01から1年間の記事一覧

現代思想の冒険者たち 三島憲一『ベンヤミン』

ベンヤミンは、とても好きだ。「翻訳者の使命」「暴力批判論」「歴史哲学テーゼ」などは一読して、その難解さや神秘的な傾向にとまどいながらも、強く魅きつけられたのだった。解説書にしてはボリュームもある。内容も悪くない。しかし、ベンヤミンは、まだ…

小此木啓吾『フロイト思想のキーワード』

ラカンに続き新書本を読む。フロイトの復習にはもってこいの本だ。重要なキーワードのエッセンスだけを、小気味よく羅列してある。いくつかの発見と、いくつかの概念を再確認できた。・フロイトの誠実さ「そして私は、あのフロイトの学問的な真理を追求する…

島尾敏雄『死の棘』を読む

稀有な作品。「もう絶対ダメだ!」と思ったことも、しばらくすると「なんてことなかったな」と相対化できてしまうことがある。そして、絶望的な気分にとらわれていた自分が、馬鹿みたいに思えて、ふっと可笑しくなりもする。 こうした絶望→希望→絶望→希望の…

市野川容孝『身体/生命』

こちらは、フーコーの「生−権力」を、西洋近代医学の系譜を辿りながら解説したもの。ただし、ビシャやピネルなどの著作に直接当たることで、フーコー自身をも批判し、そのプロジェクトを先に推し進めようという意図もこの本には込められている。王の身体の変…

新宮一成『ラカンの精神分析』

入門書としては、なかなか良い本。ラカンの理論が、自己言及のパラドックスに依拠して構築されていることがよくわかった。それゆえに、強固な論理的一貫性を持つ。つまり、手強い。だけど、何でもかんでも対象aや黄金比でもって説明できてしまうのが、ちょっ…

アガンベン『アウシュビッツの残り物』を読む

恐るべき書物。だが、私的にも公的にも、避けて通れなくなるだろう。まだまだ読み込みが足りないが、一つメモを。「恥かしさとしての主体」という考えは、最高にして最低な素晴らしい発想。鵜飼さんが、ドゥルーズとジュネの美学に触れて、「恥かしさ」ある…

授業とテスト

テストの出来は、OKラインか。それよりも、復習することがやはり大事だとさとる。まとめて復習する時間を取ろう。

安部公房『砂の女』を読む

よくできている。でも、それだけという感じがするのは、なぜ?砂の、無節操なまでの、流動性。砂の穴での、窮屈なまでの、定住性。この両者の対比に、さらに、個―共同体―国家の枠組みがかぶせられる。つまり、個人は共同体にたいして被害者意識をもつが、共…

東浩紀氏のサイトで

重要な発言がなされている。 そのような状況で、もし現行の著作権法が100万人もの人間をいつでも犯罪者にすることができるようなものなのであれば、そんなのは法律のほうが間違っているに決まっています。 わたしも上記の意見に賛成します。ネットがもらたし…

渋谷望『魂の労働』読了

よくできたデッサン、それも力強い線で的確に描かれたような。「規律訓練から管理社会への移行」は、どのように現象しているのかを描写すること。「労働」は、フォーディズムからポストフォーディズムに至り、どのように変質したのか記述=分析すること。そ…

深沢七郎『楢山節考』を読む

今村昌平による同作品の映画を見て、強烈な印象を受けた記憶がある。生々しい生と性。アンチ・ヒューマニズム。そういったものが、リアリスティクな映像から強烈に発散されているので、打ちのめされた。小説の方は、歌物語を取り入れたシンポリックな近代小…

三島由紀夫『仮面の告白』

偽者と本物。仮面と素面。演技と自然。これら二項の差異を撹乱すること。近代文学の宿命である「告白」という制度を逆手にとり、ほとんどキャッチュな形象とレトリックでもってゴテゴテと飾り立てた文体で、ついには、その告白が「本気」なのか「演技」なの…

渋谷望『魂の労働』をさわりだけ読む

この本は、上記のフーコーの権力論を受け継ぎ、管理社会の批判へ向けて深化させようという労作。第一章「魂の労働」について。「感情労働 emotional labor」の重要性がよくわかった。ネグり=ハートの『帝国』でも出てきていたが、その意味を理解できた。 「…

フーコー『監獄の誕生』を読む

規律訓練の社会から管理社会に移行しつつある。これが、ドゥルーズの予言でもあり、遺言でもあった。「君達の先輩が苦労して規律の目的性をあばいたのと同じように」、管理社会について若者よ、たゆまず思考し、その欺瞞を暴けという言葉をわたしは胸に銘記…

稲葉振一郎『リベラリズムの存在証明』を読む。

理論が、生々しい。それが、なにより凄い。『波状言論5,6号』で東浩紀は、「リバタリアン的土台の上に複数のコミュニティが乗っかっている」というのが現在の社会だと言う。また、北田暁大は、「リベラリズム」とは、そのコミュニティ間の移動の自由に関わ…

連休前の授業最終日

授業のペースがつかめてきた。課題をこなし、授業に出て、検討し合う。このプロセスの積み重ねが、基本ということか。連休明けまでに、やらるだけやっておこう。復習、予習、その他もできれば。頑張ろう。

武田泰淳『滅亡について』を読む

表題作を含むエッセイ集。仏教僧として自覚が、思っていたよりも、強いことに驚く。諸行無常。ただし、やわな詠嘆ではなく、もっと冷徹な原理としてのそれを繰り返し説いている。「滅亡について」では(また、「無感覚なボタン」でも)、その思想が色濃く展…

授業、第二週目

今週からだろうか、授業が本格化していくのは。でも、まだ授業のペースが掴めていないよう、講師、生徒ともに。先週から、提出物が多く、緊張した日々が続く。でもこれが、後々で「力」になってくるのだろうと信じて、それらに取り組む。復習が必要なテキス…

武田泰淳『ひかりごけ』を読む

彼は、小説家というよりも思想家ではないか。「救いがないということが、救いであります」という倫理。それが、彼の思想の根幹だ。一切のものは生起しては、流転して、そして消滅していく。そして、それらを一切包みこむ世界。また、それは、こうした世界と…

第二回目の授業

なかなか密度の高い授業に、納得する。とにかく多く読む。これにつきるらしい。だから、授業中にこなす課題として出される量が多い。もちろん、大歓迎だ。それに合わせて、電子辞書を買う。用例の多い、なるべく高度なものを選ぶことにした。さあ、これから…

大岡昇平『俘虜記』を読む

これは、ほんとに素晴らしい。こんな知性が、日本にかつて存在していたとは信じがたい。それぐらい素晴らしい。『捉まるまで』の一章は、絶賛に値する。極限状態に立ち向かえるのは、やはり知性なのだ。分析的な知性なくして、倫理はありえない。そう思わせ…

学校が始まる

第一回目の授業があった。雰囲気は、予想外に、なごやか。恐らく、先生の温柔な性格によるのだろう。(では、もうひとつのクラスは、どうだろう?)生徒も多彩。留学経験あり、外資系での勤務経験あり、夫の転勤に伴い海外に在住経験のある主婦、仕事の経験…

花田清輝『復興期の精神』を読む

こちらも、すごい。レトリックが、すごい。ヒューマニズムへの懐疑。単純な本質主義への批判。リニアな発展よりも、渦巻状の展開を、あるいは円よりも、楕円の軌道こそが、よりラディカルなのだと主張する。はじめから終わりへと、目的−手段の関係で物事は進…

保田與重郎『保田與重郎文芸論集』を読む

なんだこれは。日本の橋が哀れっぽいとは、どういうことかさっぱりわからない。ローマの橋が引き合いにだされるものの、一貫してロジックがない。ただ、不気味なまでに、橋の名称が列挙されるばかり。ただ、そのエッセンスを無理にでも引き出してみると、次…

太宰治『斜陽』を読む

太宰の作品は、皆小説的に見事であるけども、皆言い訳の文学だ。この作品も、その例を洩れない。「太宰の人間失格とは、共産党失格に他ならない」と書いたのは、加藤周一。(『日本文学史序説』)「不良少年とキリスト」について書いたのは、坂口安吾。つま…

病院の日

これからは、2週間置きに来ればよいことを告げられる。体調が安定してきた徴。喜ばしい。もっともっと快方へ向かわんことを。健康さを取り戻すことには、もっともっと貪欲でありたい。薬を代えてから、ちょうど20週目(5ヶ月)に当たるそう。メモ代わりに。

折口信夫『死者の書』を読む。

この一篇をして「日本近代文学の最高の成果」と呼ぶ人がいるようだ。例えば松岡正剛さんのサイトでは、「この作品が日本の近代文学史上の最高成果に値する位置に輝いていることを言わねばならない。この一作だけをもってしても折口の名は永遠であってよい」…

ゴンブローウィッチ『フェルディドゥルケ』、べケット『ゴドーを待ちながら』を読む。まず、前者。学校、下宿、地主貴族の館が舞台。それぞれの場所で行われている、それぞれの抑圧に粘り強く抵抗する主人公。学校では、生徒は無邪気で健全な青少年、と決め…

テストの結果が返ってきた。総合でB。基礎力はあるが、もっと確実にして次のステップに備えるべきとか。なるほど。文法力が特に不足している。すぐ申し込みを済ませる。4月から新しい生活が始まる。

サルトルの『嘔吐』を読む。存在の病。むき出しの存在。それらは、〈嘔吐〉として顕現する。しかし、自意識過剰すぎる。存在という語で何かを言ってるつもりなのが気に食わない。どうして、恥かしさがもたらすユーモアがないのだろう。ジュネのように、恥や…